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与謝野寛・晶子夫妻の歌碑 念願かなって建立へ






大槻美都 先生
与謝野寛・晶子夫妻が度々訪れた天橋立に、歌碑が建立されました。
晶子の研究を俳人であり文学者の小室洗心氏から託され、この度の歌碑建立の発案者でもある、歌人・大槻美都先生にお話しを伺いました。

文人墨客の地・天橋立


―― 歌との出合いを少し語って頂けますか。
大槻 私が豊岡高等女学校時代、そこの畠中校長先生が寛の主宰する「明星」の同人であり、朝礼の度に自作の短歌を披露されました。その縁からか晶子の講演を直に学校で聴く機会を得ました。

―― それで歌の道へと。
大槻 大学で「ハハキギの会」に入会し指導を受けましたが、卒業後は結婚、そして子育てに追われ晶子のことはすっかり忘れていました。しかし嫁いだ先が天橋立。戦後の昭和24年に「丹後歌人会」が創立、そこで小室洗心氏との出会いがあり、晶子とは切っても切れない縁となりました。

―― 歌碑建立は先生の発案とか。
大槻 天橋立には古来より文人墨客がたくさん訪れています。特に寛の父・与謝野礼厳が地元加悦の出身であったことから晶子も度々訪れています。これだけ天橋立に縁のある晶子、歌碑すらないことに一抹の寂しさを感じていました。晶子の歌碑は外国を含め100以上あります。

―― たくさんの方が応援して下さるようですね。
大槻 文珠荘の幾世さん達を中心にたくさんの方が意欲的に参加してくれています。ありがたいことです。

―― 石碑には地元の石を使われるとか。
大槻 宮津生まれの石を使うことになりました。文字を刻むところだけは強度の面からインド産の黒石を使うことになりましたが……。

―― 除幕式は、いつ頃を予定されているのですか。
大槻 7月7日になる予定です。石碑の話が持ち上がったのは今からちょうど2年前になりますが、台風23号などの影響で当初の計画より随分遅くなっています。

―― 先生には「丹後と与謝野晶子」を弊社から出版させて頂きました。
大槻 短歌は日本の風土のなかで育った特有の文化ですし、大切にしたいと思っています。それにこの本は小室洗心氏ら、先人の研究をもとに発行できたものです。たくさんの方に読んで頂きたいと思っています。




与謝野寛・晶子夫妻の歌碑

与謝野夫妻 昭和5年5月 天橋立にて詠める歌の自筆を拡大す

小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波  寛
人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天の橋立  晶子

与謝野寛・晶子夫妻は、寛の父礼厳が加悦町出身ということもあり、天橋立に度々足を運ばれました。
昭和5年5月 丹後に8泊のうち天橋立に2泊して、寛 45首、晶子 60首の短歌を遺されています。
昭和10年 寛逝去後、傷心の晶子が天橋立を訪れたのが昭和15年でして、帰京後、発病し、以後旅をすることもなく昭和17年逝去されました。
最後の吟遊の旅が当地、天橋立でした。夫妻が多くの歌を遺されたこの天橋立に歌碑を建立することが私たちの責務ではないかと考え、多くの天橋立を愛する人、与謝野夫妻に思いを寄せる人たちのご協力の下に、ここに歌碑を建立する運びとなりました。
寛・晶子夫妻の歌をよみ、お二人を偲んでいただければ嬉しく存じます。

平成18年(2006)7月7日 建立
天橋立を守る会
歌碑建立発起人会